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Barber pole

The barber pole once kept in the Tatsumi Hijikata & Natsuyuki Nakanishi Memorial Saruhashi Warehouse.

Photo by Rokka

Two bodies in contemplation, swept up in a swirl of white, red, and blue.

Photo by Rokka

Photo by Rokka

食することや日常の身体を舞台上にあげることに取り組み、家族とジェンダーについて向き合いながら、取り乱す身体を探る。

Photo by Rokka

解剖の身体史を辿り、それぞれの性別の身体観について問う実験的パフォーマンス。

Photo by Koshimizu

Photo by Rokka

『田中敦子と具体美術協会 金山明および吉原治良との関係から読み解く』より

“クニモトは、「身体の表面と境界は、ジェンダーの観点から捉えた主体性というものにおいて重要な役割を果たしている」というジュディス・バトラーの言説を援用し、次のように述べた。「彼女のアートは、戦後の日本で若い女性であるということは何を意味するのかについて、著しい不確かさに直面していた多くの女性に共通の、不安のオーラを放っていた」。そして、これまで特に英語圏の研究者が戦後の日本における「個人主義」の獲得の成果として具体の作品を語ってきたことに対して異を唱え、《電気服》は「ジェンダーの観点から捉えた主体性というものが、個人主義的な言明というよりもむしろ、不安定で不確かであることの表れである」と結論づけた。確かに《電気服》および《舞台服》は、衣服をモティーフにし、しかもその着脱を人前で演じるという点で、女性性と結びつけて語られやすいだろう。しかし田中にとってそれは着想の出発点ではあっても、目指すべき地点ではなかった。なぜなら田中自身が1998年に、作品が社会的な事柄と関連性を持つのかとの質問に対して、自身の作品は「政治的なこと」や「性別」とは関係がないと明言したほか、次節で取り上げる《舞台服》で披露された次々と着替えていくパフォーマンスの習作群を見れば、田中が作品における女性性の意味合いを薄めていくという方向に進んだことが疑い得ないからである。……それゆえ筆者は、田中の作品をジェンダーの視点から読み解くことには慎重な立場を取る。”

Photo by Rokka