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メンズという枠組み

    2026年9月20日(日)

    Participants: 3

    脱ジェンダーロールの会 第二十六回

    「メンズという枠組み」

    今回は『入門 男らしさの歴史』のテキストをベースに、男らしさの変遷について意見を交わしました。


    1. メンズリブ・男らしさの変遷

    「メンズリブのメンズは何を指しているのか」

    会の冒頭では、メンズリブ運動の契機となった主な3つの背景(①男性のみに科される徴兵制への反対運動、②離婚後の親権獲得において父親が不利益を被る現状への異議、③ゲイ男性の権利主張)を確認しました。日本でも過去に11回「男のフェスティバル」が開催されたり、「メンズリブ東京」や「メンズセンター」が設立された歴史が紹介されました。

    この歴史に対し、参加者からは「メンズ」と一括りに包摂されてはいるものの、抱えている課題や主張がそれぞれ異なるため、一丸となった大きなムーブメントとして継続・発展させるのは難しかったのではないかという指摘がなされました。また、ウーマンリブ運動に比べてメンズリブ(男のフェスティバル等)が短期間(11回)で収束していった背景については、当事者として強い課題意識を抱えていた男性が一部の限定的な層にとどまり、男性全体に共通する問題意識として広がりづらかったのではないかという推察が語られました。

    「日本における男らしさの象徴と仁王立ち」

    続いて、男らしく見えるポーズや身体表現について意見が交わされました。ヨーロッパでは「竜退治の英雄・聖ゲオルギウス」が男らしさの象徴とされるのに対し、日本では仁王像や歌舞伎に見られるような「胸を大きく張る仁王立ち」が誇りやプライドの象徴として扱われてきた点が共有されました。

    この身体表現に関連して、参加者からはラーメン店の店主が腕を組んで仁王立ちするスタイルも、自らの味や職人としての誇りを提示する姿勢から来ているのではないかという素朴な疑問が提示されました。さらにある参加者からは、過去に職場で電話に出る際の姿勢に対して「もっと男らしいポーズ(堂々とした姿勢)で取るように」と上司から直接指導されたという実体験が共有され、身近な生活指導の中にも男らしさの規範が浸透していることが話題に上りました。


    2. 男の身体・スポーツ・集団規範

    「身体鍛錬の刷り込みと美意識の変遷」

    男性像と身体鍛錬(筋肉)の結びつきについても議論が及びました。参加者の一人は「中学生の頃に強い身体に憧れて筋トレを始めた」という個人的なエピソードを明かしました。

    かつては体毛や汗が男らしさの象徴とされていましたが、現代では脱毛した肌や清潔感のある身だしなみが男性に求められる傾向へとシフトしているのではないかという分析がなされました。また、ドイツの「トゥルネン体操運動」などの歴史的背景に触れつつ、日本の学校教育に残る「給食を残さず食べさせる指導」や「前習え(集団統制)」といった軍隊的な統制や集団規範の形成プロセスについても話し合われました。なお、会の終わりに現在の学校現場で実際にどう行われているかを小学生に尋ねてみたところ、現在でも体育や集団行動の場では変わらず「前習え」が行われているという回答があり、集団統制の身体技法が現代の子どもたちにも引き継がれていることが確認されました。

     「スポーツとホモソーシャルな空間・ジェンダー形成」

    スポーツが「男性同士の結びつき(ホモソーシャル)」を強める役割を果たしてきた点について議論がなされました。

    野球は明治期に開成高校などを通じて日本に導入され、集団統制や男らしさを培うスポーツとして発展してきました。これに対し、ある参加者は「幼少期、兄たちが野球をしている横で、自分は遊具で別の遊びをしていた」という実体験を振り返り、メインストリームである「野球(男らしさ)」との対比やコントラストによって、かえって自身のジェンダー意識やアイデンティティが形成されていったのではないかという考察が共有された。

    また、かつて2000年代に小学校時代に野球を経験した参加者からは、は「野球=坊主頭を強制されるストイックな文化」であるのに対し、「サッカー=髪型や髪色が自由で、やや不良・チャラいイメージ」として捉えられていた印象が共有されました。現在の野球とサッカーを取り巻くイメージや立ち位置は、当時から変化してきているのではないかという指摘もありました。

    さらに、スポーツ文化の中で培われる「頑張ろう」と肩を叩き合うような男性同士のボディタッチは、そうした空間に馴染みのない人にとっては戸惑いを覚えるものであることが確認されました。街中のカップルに見られる手の位置や肩の組み方についても、無意識の「俺のものだ」という所有・支配関係が透けて見えることへの違和感が語られました。

     「テストステロンと性差・補充治療の難しさ」

    ドーピング検査や性差の基準となる「テストステロン(男性ホルモン)」についても話し合われました。

    「テストステロンの分泌量と性欲の強さが比例する」という言説(タレントの言及など)に対しては、女性にも当然性欲はあるのだから、テストステロンだけで性欲を一元的に説明することはできないのではないかという疑問が呈されました。

    一方で、加齢や健康維持のためにテストステロン補充療法が必要とされるケースや、トランス男性(FTM)が受けるホルモン治療について話し合われました。ホルモン投与によって声が低くなったり筋肉がついたりしてジェンダー違和が軽減される一歩で、毛髪が薄くなるといった副作用も存在することから、身体変容に伴う当事者の複雑な思いや治療の難しさが共有されました。


    3. 男同士で分かり合う

    「決闘文化と「傷(勲章)」の感覚」

    19世紀から20世紀初頭のヨーロッパにおいて、男性同士の「決闘」で傷を負ったり死亡したりすることが「男の名誉」とされていた歴史を振り返りました。

    ある参加者は「小学生の頃、スポーツで怪我をして絆創膏を貼っている友達に憧れを抱いたことがある」という体験を明かし、身体の傷を誇らしく思う(勲章とする)感覚は、現代の私たちの意識の下にもかたちを変えて流れているのではないかという考察を述べました。これに対して、傷を負う場所やシチュエーションによって受け手の感覚は異なり、それが誇りや勲章になり得るかどうかは個人の感性や文脈に依存するという意見も出されました。

    「大学空間における「女人禁制」とエリート像」

    頭脳だけでなく身体的にも強いことを証明しなければならなかった「大学における決闘文化」を紐解き、歴史的に大学という知的空間がシスヘテロ男性主導の「女人禁制」として構築されてきた背景を確認しました。

    その中で、東京都写真美術館で開催されている出光真子展の映像作品が例として挙げられました。作品内で描写される「美術大学の現場において女子学生に対する教授の批評やおざなりなコメント(男性中心主義的な構造)」に触れ、大学空間における女人禁制や男性優先の構造が当時の教育現場にも依然として影を落としていたことが実感されたという感想が共有されました。

    Notes: Danshiro


    References:

    「入門 男らしさの歴史」

    弓削直子 編著

    1章 男らしさはつくられる

    2章 男のからだを魅せる

    3章 男同士でわかりあう


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