
2026年10月18日(日)
Participants: 3
脱ジェンダーロールの会 第二十六回
「弱さへの恐怖と境界線」
前回の読書会テーマを引き継ぎながら、学校教育や男子寮などに潜む軍隊的な集団規範や、社会が作り出す「普通」について、それぞれの体験を持ち寄りながら語り合いました。
1. ウィークネスフォビアがもたらすこと
「筋トレの動機はどこからくるのか」
テキストの中で紹介された「M検(戦地へ向かう男性の身体検査で性器等を調べる検査)」について、その事実を参加者全員が知らなかったことから議論が始まりました。
戦時中、社会によって男性の身体が道具として扱われていたこと、そしてその不快や屈辱を問題視できず沈黙せざるを得なかった背景には、弱さを見せないようにする「ウィークネスフォビア(弱さへの恐怖)」があったことを学びました。
ここから話題は「現代の思春期男子が筋肉をつけたがる背景にも、ウィークネスフォビアが内面化されているのではないか」という点へ広がりました。参加者からは、「周囲の期待に応えたい、モテたいという欲求からスポーツ系の部活を選んだ」という体験が共有されたほか、虚弱な身体へのコンプレックスから筋トレに励んだ三島由紀夫の事例も、ウィークネスフォビアやコンプレックスが動機となっていたのではないかと話されました。
一方で、すべての筋トレが弱さへの恐怖から行われているわけではないのではなく「理想の体型になりたい」という憧れや、「まだ見ぬ身体への純粋な興味」が、青年を筋トレへと掻き立てることもあるのではないか、という指摘もなされました。
「強さの要請と集団空間の不自由さ」
話題は、中高の男子寮などの集団空間において「男性社会」がどのように形成されるかへと移りました。番号で管理された洗濯物や厳格な上下関係など、そうした空間には軍隊的な規範の空気が色濃く残っているそうです。
修学旅行などで同級生と当たり前のように全裸で風呂に入る体験も、議論の焦点となりました。集団生活の中で「裸を見せることに抵抗感はないはずだ」という前提のもとで扱われることへの違和感が語られ、「水着の着用や大きなタオルで隠すといった配慮があってもいいはずなのに、集団の『恥ずかしがらないのが当たり前』に飲み込まれてしまう不自由さが今なお存在するのではないか」という指摘がなされました。
また、男性トイレの立ち小便器が仕切りもなく並び、「性器を見られても気にしないこと」を当然とする空間設計も、弱さを見せない(抵抗感を表に出さない)ウィークネスフォビアを前提とした社会の表れではないか、という意見が出ました。
一方で、海外のトイレ・シャワー一体型の構造や、ドイツの全裸サウナで保たれている独特の距離感やマナーなどの事例も共有されました。身体を見せることやプライベート空間に対する意識・空間設計のあり方は、文化や国によって大きく異なることも再確認されました。
2. 軍隊的集団性と学校教育
「集団性と個の価値観」
学校教育には、歴史的に軍隊の名残が強く残されており、時間を厳格に守って全体を進行させる仕組みが組み立てられています。そうした集団構造のなかには、現代においてもウィークネスフォビア的な同調圧力を生む側面があり、「軍隊のように『前ならえ』をさせなくても、決められた行動を促すような別の教育の形はあり得ないのだろうか」という問いが投げかけられました。
軍隊的な画一性と不自由さが残るなかで、それに違和感や嫌悪感を覚えて登校できなくなった子どもたちを単に「不適合者」と切り捨てるのではなく、むしろ「独自の価値観を育てようとしていくべきだ」という視点が共有されました。
「人の量がもたらす圧力」
また、話題は満員電車(京王線、中央線、南武線など)における路線ごとの空気感の違いにも及びました。人が極端に多くなると集団の統制が難しくなるため、結果として軍隊のような管理システムが必要とされてしまうのではないか、という推察がなされました。
こうした集団の圧力や統制から逃れる知恵として、漫画家の水木しげるが戦地で蝶々を探しに行くフリをして危険を回避したエピソードなども紹介されました。時間の管理や計画通りの進行に達成感を覚える人がいる一方で、型にはめられることに息苦しさを感じる人もいます。そうした双方の価値観が存在する現場をどう切り盛りしていくべきかについて、対話が交わされました。
3. 「クィア」と架空の境界線
「普通の基準とクィアという概念」
最後に、「クィア(変態などを意味した言葉)」という概念について対話が交わされました。まずテキストを通して、「普通(ノーマル)」とされる基準が存在するからこそ、「クィア」という区分が生まれるのだという点を確認しました。
「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といった規範的な視線やマジョリティの価値観に飲み込まれる前に、自分自身の状態を言語化し、安心して対話できる空間を持つこと。それが、社会の規範によって個人の存在が脅かされないための手立てになるのではないか、という意見が参加者から語られました。また、一見「ノーマル」とされる人々の中にも規範から外れた時間や生き方が存在すること、そしてどの視点に立つかによってマジョリティとマイノリティの位置関係は入れ替わるのだということも話し合われました。
「カテゴライズと人間関係の構造」
社会は物事を分類することで境界線を明確にし、人間に対しても「合格・不合格」「ノーマル・変態」といった評価を下したがります。しかし、そうした外部からの評価や承認にとらわれすぎると、「ノーマルであることに憧れてしまい、自分がどうありたいかではなく社会にとって望ましいとされる姿を無意識に選ばされてしまうのではないか」という懸念が共有されました。
さらに、差別が生まれる背景から人間関係や集団の構造へと考察が深まりました。「一対一の関係では相手への感情移入や投影が強く起こりがちだが、三人以上の関係(集団)になると『私』でも『あなた』でもない第三の空気が生まれ、関係性の固定化を曖昧にしたり和らげたりしながらやり取りをするようになるのではないか」という推察もなされました。
「ノーマル」とは一体何なのか、時代とともに移り変わる捉えどころのない架空の境界線に思考を巡らせながら、参加者それぞれが新たな問いを抱え対話を締めくくりました。
Notes: Danshiro
References:
「入門 男らしさの歴史」
弓削直子 編著
4章 「男らしさの学校」に入隊する
5章 戦わない男、戦えない男、戦いの果てに
6章 「クィアな」性を生きる
「ジェンダーで学ぶ歴史学」
弓削直子・兼子歩 編著
第14講 クィア
Past posts
- 弱さへの恐怖と境界線
- メンズという枠組み
- "Parite and the Global Situation"
- Reflections on Parity
- Japanese social structure and gender
- Women's lib from the ground up
- Living our contradictions
- Future References
- A map of gender theorists
- Why the Trouble?
- Matrilineal Society, Instinct, and Gender
- Perspectives on Marriage in Japan
- Future References
- Gender Roles Considered from Article 24 of the Constitution
- Colonial Rule and Gender
- Military History and Gender
- Expanding the Range of Masculinity
- Body Image Through the Lens of Body History
- How History Shaped Our Ideas of Gender
- Gender Representation from the Perspective of Women’s History
- Exploring the Family of the Future through Family History
- Body, Feminism, and Porn
- Nation and Gender
- Choices in Labor, Sex Education, and Gender
- On Postmodern Families and Gender
- On Diversifying Families and Children's Rights
- Gender Roles in Parenting